1- 教会の堕落は、使徒たちの言葉への尊 重を失うことから始まります。使徒の働き 21章では、パウロがエルサレムに行った とき、使徒たちには誰にも会わず、教会の 長老たちとヤコブだけに会ったことがわか ります。そこにはもはや使徒の言葉に対す る尊重がなかったのです。(使徒の働き 21:18)
2- ペテロが彼の二つの手紙を書いたと き、彼はすでにエルサレムにはいませんで した。なぜなら、もはやその教会には彼の 居場所がなかったからです。誰も預言的な 言葉に耳を傾けていなかったのです。そこ で彼は、ステパノの殉教後の大迫害によっ て散らされたユダヤ人の信者たちに手紙を 書き、預言的な言葉をいつも尊重するよう 励ましたのです。(ぺテロ の手紙I1:1;ペ テロの手紙II 3:1-2)
3- 紀元70年にエルサレムが滅ぼされる直 前、その教会はすでに神の御心を行わなく なっていました。むしろ律法の実践へと戻 っていたのです。神のご計画の中で、その 教会はユダヤ教と変わらなくなっていたの です。しかしペテロは、預言的な言葉に従 い続けていた者たちに対し、なおも養いを 続けていました。私たちも同労者たちの世 話を続けていきましょう。(ペテロの手紙 II 1:19)
4-私たちは自分の無力さを認め、自己では なく、神に信頼すべきです。神こそがその 御業を成し遂げる力を持っておられます。 このように生きるなら、私たちは決して福 音の真理を放棄するような圧力に屈するこ とはありません。むしろ堅固で、絶対的 で、恐れずに立ち続ける者となるのです。 後退は、決してありません!(コリント人 への手紙 II3:5;ガラテヤ人への手紙 2:4- 5;ヘブル人への手紙 10:39)